哲学と翻訳

東大哲学科博士学生の研究メモ。研究にかかわる情報を発信します。

【デカルト】永遠真理創造説 ① その動機と戦略【解説】

デカルトには、「永遠真理創造説theory of creation of the eternal truths/verities」という、やけに堅苦しく、どこかむずがゆい名称をあてがわれたテーゼがある。

つい前年度、私はこの「永遠真理創造説」についての論文で、修士の学位をとった。つまり、この謎めいたテーゼについて、人よりはそれなりに詳しいというわけだ。少なくとも、あなたが呑み屋で出会う好事家よりも、私は永遠真理創造説について詳しいし、同じように、あなたが決まって哲学について質問する先輩や先生の多くよりも詳しいかもしれない(その人がデカルト屋でない限りは)。

この記事では、永遠真理創造説の問題の核心について、最低限のことを解説しよう。最低限といっても長くなってしまうので、ここでは第一弾として、当説のモチベーションと戦略についての解説に終始する。

1. 永遠真理創造説とは何か

永遠真理創造説とは、1630年にデカルトが、気心の知れた先輩であるメルセンヌに宛てた書簡に記されたテーゼのことだ。

具体的には、文字通り、「永遠真理は神によって創造された」というだけの主張である。こん主張がどんな問題を巻き込むのかは後に述べるが、一見しただけでは普通わからないと思う。

ところで、このテーゼの眼目は、文脈上、「自然学的真理の形而上学的基礎づけ」と一般に言われる作業に係わる。自然学physicsとは、今日の物理学や生理学、医学などを含めたもので、おおよそわかりやすく言えば、「物体的なphysicalものを対象とする学問」の総称だ。そして形而上学とは、この物体的なものがなぜ、どのように存在するのか、といった類の問いを扱うものだと思えばよい。

2. 基礎づけプロジェクトの内実

デカルトによる「基礎づけ」プロジェクトとは、物体的な事物を扱う自然学の知識の確実性を、物体的事物やそれについての知識がまっとうなものとして成立するのはなぜなのか、という問いに答えることを目指すものだ。

そして永遠真理創造説は、この基礎づけプロジェクトの一環として導入された。切り詰めて言えば、デカルトが言いたかったのは、自然学であれ数学であれ歴史学であれ、学問が扱う真理は、すべて神に保証されているのだ、という類のことだ。言いかえれば、「なぜ学問の真理は、偽でも無価値でもないと信頼してよいのだろう」という疑問に対して、「そうした真理は、神が作ったから信頼できるのだ」と答えようとしている、ということだ。これは一種の権威による論法と言える。

永遠真理創造説の概説についてもっと詳しく知りたい人は、『岩波哲学思想事典』などを引いてみるといい。ライプニッツの専門家である佐々木能章先生が、精確な、そしてややライプニッツ寄りの解説を書いている。

3. 権威による論法

権威による論法を理解するために、私たちの日常的な場面を取り出してみよう。

「どうしてマスクをすると感染症拡大が防げるの?」という質問に、「専門家の偉い先生がそう言っているでしょう」と嗜めたり、「なんで親が決めたことに従わなきゃいけないの?」とごねる子供に、「親がそういうんだから、だめなものはだめだ」と叱りつけるのは、まっとうな態度と言えるだろうか。

おそらくは、こうした権威に依拠した論法は、(本当に専門家や親に権威が帰属するかは別にして、)あまり納得のいくものではない。むしろ愚かな議論に見えるし、せいぜい肩透かしといったところだ。

上の例で権威による論法が説得的でないのは、「なぜ」の問いに答えていないからだ。言いかえれば、「なぜ〜なのか」という問いに、もっとマシな答えがあるからだ。感染症拡大に対するマスクの効果については、「飛沫が感染を媒介することが多く、そしてマスクは飛沫を防げる」と答える方がもっともらしいし、反抗期の子供には「これこれのことは聞き入れなくては、親子の縁を切るぞ。しかしお前は扶養されなくてはやっていけないではないか」と弁ずる方が、(本当に「やっていけない」かはわからないけれど)少なくとも真摯な態度というものだ。

4. 原因探究が打ち止めになるタイプの真理

こうして、日常的な例における、権威による論法の失敗は、別の答えがあるのに、それを用いてしまうことにある。しかし、だからといって永遠真理創造説の論法もまともではないと断ずるのはまだ早い。

日常的な例と比べると、数学的真理などは毛色が違わないだろうか。「なぜ1+1=2なのか」という問いに、まともに答えようとすれば普通は苦慮するところだ。せいぜい、「教科書にそう書いてある」とか、「それはそう決まっているから」とかしかないだろう。前者は、権威による論法の失敗例に酷似している。では後者はどうだろう。後者に対してさらに、「何がどう決まっているの?」と問うことができる。ここで可能な回答は、「「1, 2, +, =」といった記号の使い方が、1+1=2になるようなルールになっているのだ」というものだろう。しかしさらに、「だれが何で決めたのそんなこと」と問いたくなるが、この辺りでほとんど回答に窮してしまう。(カルナップの規約主義では、「それが一番便利だから」といった具合に答えられるかもしれないが、その先は打ち止めである。)

5. 神を用いた権威論法

もちろんこういう数学的真理に対する屁理屈じみた質問は、無意味であるかもしれないし、筋が通っていないかもしれないが、やはり回答しない訳にはいかないものでもある。デカルトは少なくともそう考え、権威による論法の最強バージョンを思いついた。

さっき、任意の数学的真理の根拠について、「教科書に書いてあった」という権威論法をさらっと諦めてしまった。なぜかというと、教科書に十分な権威が属するという見方が怪しいからだ。それは文科省に認可された以外は普通の本である。文科省にも、普通の本にも、数学的真理のルールや根拠を云為するだけの権威はないだろう。

問題は、権威主体のもつ権威が、数学的真理を基礎付けるに足ると示すことだ。慧眼な読者にはもう明らかだが、神というのがその権威の帰属先として指名されたものだ。神の定義についての議論はちょっと置いておくとしても、(神が存在する限りは)神が最高の権威をもつというのは、とりあえず承服できると思う。こうして、神を権威主体として指名する論法が、永遠真理創造説の根幹をなしていると言える。

権威による論法がこの場合失敗しないのは、問いの性質においても、帰属する権威においても、学問的真理+神というセットが、きわめて強力なものだからだ。数学・自然学の真理についての「なぜ」の問いは、たいていどこかで打ち止めになり、答えがなくなる。その答えとして、「神がそう決めたからだ」と答えるのは、権威による論法としては一応通る。なぜなら、神の権威は、数学的真理を基礎付けるほど大きいから、というわけだ。

6. なぜの問いの消失点

しかしこの流れだと、「なぜ神はそう決めたのか」という問いが、さらに投げ掛けられそうだ。デカルトはこの問いに対しては、「わかりません」と答える。大事なことは、この問いに答えがないのではなくて、この問いには答えられないのだ。言いかえれば、答えがあるのかないのかさえも、私たちにはわからないのだ。なぜなら、デカルトにとって、神が「1+5=6としよう」とか「地球をパンケーキ型よりは球に近い形にしよう」とかいうことを決めたのは、神の意志(と知性と力)に係わることだが、これが私たちにはわからないからだ。

あなたの教室に蟻の行列が侵攻してきたので、あなたは友人Aと協力していたずらにすべての蟻を踏み潰し、掃き捨てた。そのことが、大層な動物愛護活動家の先生に知られ、職員室に呼び出され、「なぜ君たちは蟻を殺したのですか」と問われた。友人Aが「太陽が眩しすぎたからです」と答え、さらに先生は「なるほどね」と答えた。

この状況で、文学作品を一冊も読んだことのないあなたには、2人の会話が理解できない。局所的には、太陽の眩しさが殺しの理由になる(先生はこれを理由として認めた!)ことがわからない。実際には、友人Aはカミュを持ち出して、戯けて答えたにすぎないのだが。

こういう場合に私たちは、自分よりも賢い人が何を考えているのかについて、理解不可能な経験する。デカルトが神を用いた権威論法をとるときにも、このような「わからなさ」が注目されているのだ。つまり、神がなぜこれこれのように真理を設定したのか、ということについては、「わからない」のだ。ここでは、答えが打ち止めになるのと道連れに、質問も打ち止めになる。ここで「なぜ」の問いはご破算である。

7. まとめ

ここまで、永遠真理創造説のモチベーションについて語ってきた。あくまでこれは私の理解だが、考えてみれば流れはこうなっているのだとうと思う。

この点についてさらに深く、厳密に考えたい人は、村上勝三『デカルト形而上学の成立』勁草書房講談社学術文庫の第1章を読んでみるといい。

とりあえずまとめると、永遠真理創造説は、学問知識の基礎づけとして導入された。それがなぜ基礎づけとなるのかというと、学問的真理よりも上位の、神の権威を持ち出しているからだ。そして、その神の権威に対して基礎づけがいらないのは、そんなことわれわれにはできないからだ。ここで言う「基礎づけ」の要不要を、上では「なぜ」の問いの成否として解説したわけである。

最後にこれを簡単なチャートにしてみよう。はてなブログで複雑な図表を作る方法がわからないので、しょぼいけれども許してほしい。

 

学問的真理A→なぜ?→① 権威論法 or ② 原因探究→ ①は失敗、②が成立→真理Bの提出→なぜ?→真理Cの提出…→基礎的真理Zの提出(原因探究の終着点)→なぜ?→ ①神の権威論法 or ② 原因探究の放棄(規約と言っても同じ)→ ① 神がそれを真と定めた→なぜ?→わからない。

 

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お題「我が家の本棚」

このお題を見て、本棚を眺めていたらデカルトが目に入ったので、このことを解説しようと思い立った。

しかし書き終わって見上げたら、私の机の正面の本棚は、1/3がデカルトの本だったのだ。